| クリスマス |
|
| 耳がちぎれそうで唇は乾燥していて、冬なんか嫌いだ夏が恋しいと心の中で悪態をつきながら家路へ向かう。多分夏になれば冬はまだかとぶうぶう言っているんだろうけど、とちょっと反省しつつ、微風の冷たさに、でも夏の方がいいと堂々巡り。なんでイブ前に振るかなあ。マフラーを背中に流し直して、ああ寒い寒い、ハワイにでも引っ越しちゃいたいと馬鹿らしい発想も浮かんでくる。お腹の底に氷を仕込んだように、体の芯から冷えている。
角から飛び出てきた小柄な人影とぶつかりそうになって、うわ、と声を上げた。口を開けたせいで空気が入り込んできた。こんなに寒い中を半ズボンの男の子が走り抜けていく。そうか、今日は終業式か。 ランドセルにおぶわれて帰っていく子達。体操着袋やお道具箱なんかがぱんぱんになってランドセルを困らせている。みんな冬休みの予定で頭がいっぱいといった顔で、わぁわぁ言いながら駆けていく。自分にはいつからこんな純粋な喜びが減ってしまったんだろうと、なんともおばさんくさい考えになり、白い呼吸とため息を吐く。 妙にキラキラした電光掲示板には、わざとらしく自衛隊の活躍、なんていう映像が貼り付けられてあって、黒いつばを吐き捨てたくなる。
どこかから笛の音が聞こえる。これは、なんだろう。あ、もしかして、ソプラノリコーダー?ああ、きっとまた持ち帰れなかった荷物をぶら下げた小学生だな。私も毎年そうだったな、と一人ごちて、やっぱり寒くて歩を早める。懐かしいなあ。 ティー、ティー、ティー、ピー。 あら。高音がうまく出せないようで、何度やっても裏返ってしまう。力入れ過ぎてるんだよ。力抜いて指をきちんと立てて。心の中で伝えながら、ふとそれは大人の考えかもしれないと思った。全力で一日をかっ飛ばしていくこの子達の世界では、サンタクロースでさえそりにターボエンジンを乗っけているかもしれない。トナカイのように鼻を赤くさせて、また怪獣達がばたばた帰っていく。
探検でもするような気になって、本人を音色を頼りに探してみる。
いた。 ジャングルジムに座って、赤いランドセルを背負った女の子だった。低学年位に見える。ランドセルには何も引っかかっていない。熱心に吹いているけれど、どこか危なっかしい演奏だ。子猫の鳴き声のようにそれはか細い。目的は達成したので、もう帰るつもりだった。でも、彼女の周りの、雪の降りそうな雰囲気に吸い寄せられるように、私は声を発していた。 「リコーダー好きなの?」 女の子は少し驚いた表情でこちらを見て、咥えていたリコーダーを離した。 「好きというか。聞こえるように歌っているの。」 話しぶりから聡い子だと思う。大人びた感じだと言ってもいい。 「歌う?吹くじゃなくて?それに、誰に?」 女の子は本当にびっくりした様子で、目を真ん丸くした。白くなるはずの息は見えない。 「歌うって、プレゼントでしょ。これは、みんなによ。」 そう言うと女の子は、もう帰った方がいいわ、これから降るから。と付け足した。まるでお母さん、のような声と12月の寒さで、もう何も考えられない。後ろから響く相変わらずたどたどしい音色が、もう小学生のいないイチョウ通りを繋ぐ。 その音色は意識と無意識の間に入り込んで、私を包んだ。窓にちらちらと雪が触れ始める。懐かしい曲を聞きながら、私はコタツで猫になった。あの曲は、家路という題名も付いているらしい。
遠き山に日は落ちて 星は空を散りばめぬ 今日のわざをなし終えて 心軽く安らえば 風は涼し この夕べ いざや楽しまどいせん まどいせん…
起きてみると日付はもう変わっている。あのまま寝入ってしまったのだろう、思わずくしゃみをする。何の気なしにニュースをつけた。 ―昨夜世界中に響いたソプラノリコーダーの音についてですが、人によって聞こえた曲が違うという証言もあり…専門家の方もこの現象を未だ解明できておらず、誰かのいたずらであるという可能性も… まさか。どの局でもこの話題で情報が錯綜している。世界各地の老若男女が写る。 ― 俺はおおスザンナだった。わたしは峠の我が家が。夏は来ぬを。私は黄色いカバンを持った女の人が吹いているのを見たわ。私はトロイカを。僕の見たのは青いマフラーのおじさんだったよ。太った。ダニーボーイ。さらばナポリ。背の高い。子供の。トランブータン。ベージュ。静かな。不思議な。まるで夢みたいな。
確認してみると、確かに目撃情報も聞こえた歌も、まったく一致していない。ところが、あまり上手くはなかった、という事は共通する。キャンベラの友人に電話をかけると、やはり聞いたという。雪降る朝は、音を吸収して、果てしなく静か。二次元に立っているようだ。音を立てるのはお湯を沸かすポットだけ。 ―歌うって、プレゼントでしょ。これは、みんなによ。― 昨日微笑んだ女の子の顔は、コーヒーの湯気に覆われて、もううまく思い出せない。もしかしたら誰かの言う通り、夢だったのかもしれない。でも、あの言葉だけははっきりと私の中に積もっている。 あぁ、そういう事なんだ。それぞれ違って感じたのは、当たり前の事じゃない。全部、あなただったんでしょう?
今この瞬間に目を閉じる子も、誕生日が変わってしまったキリストも、募金しながらハンバーガーを食べる人も、美脚を見せてティッシュを配るオネエサンも、最悪のタイミングで私を振ったあいつも、ドボルザークのおじいちゃんも、本当は見えないところで真面目に活動しているだろう自衛隊員の誰かも、母も父も、そして批判ばっかりで自分で行動しない私にも。今日だけは優しくありたい。 Merry Xmas,to you. きっと、彼女は。
| |
|
7月8日(水)23:44 | コメント(0) | 書き散らし | 管理
|