| ファイル№.17 |
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| 母は、なんでも「勿体ない」と言って取っておく性質だ。写真や落書き、メモは勿論、ベルマーク、取れたボタン、映画のチケット、乳歯となんでも残っている。アルバムより色々なものが挟めると、昔から多目的型のファイルを使う。そして誕生日を迎えるごとに、新しいファイルを買ってくる。父親の肩に乗ってVサインをする私。7歳。 浜辺で笑う友達の横で青い顔をした私。かき氷の食べすぎでおなかを壊したっけ。あれは、10歳の夏。 チロリチョコにはまっていた頃の、捨てたはずの包装紙が一種類ずつ揃えてある。家族には秘密のはずだったんだけどなあ。これは、13歳の事。 黒くなって千切れかけているミサンガは、15歳、父親のくれた最後のプレゼント。全部、私だ。
けれど一冊だけ、ファイルのない年がある。
高校2年生の事だ。 中学3年の頃にはもう、両親の争い声は絶えなくなっていて、食事も味がしない。快活な母親の笑い声は無く、ゆううつな帰宅時間。遅刻早退欠席。ビールの味。無断外泊。それまで割とユウトウセイだった私が転がるようにかさついていくのを、周りは驚いて見ていたに違いない。高校に受かったのは奇跡的だった。
一年生の半ばにしてカタクラといえば問題児、問題児といえばカタクラと言われるようになっていた。煙草は吸う、喧嘩はする、万引きは常習、何度補導されたか知れない。迎えに来る母親の、同情したようなやつれたような顔に、とてもいらいらした。 なんとか2年生になっても、澱んだ気持ちが払拭される事はなく、仲間とつるみ、街を歩いては適当な獲物を見つけて殴り、所持金を奪い、殴った。面白がっていた。そうでしか、自分がどこにいるか実感できなかった。
珍しく、その獲物は反抗を見せた。こちらに向かいかかってきたのだ。顔を殴られたのは、仲間内でも恐れられている男。目を充血させ、キレた勢いで護衛用と称したバットで殴りかかった。怖かった。でも、参加しないでは仲間からの暴力が怖かった。何よりも、居場所が無くなる事が恐かった。私も、卑屈な嗤い声をあげながら、バットを振り上げた。
向かった先は帰りたい場所ではなかった。
目に映ったのは、初めて見る、母の強烈な怒りだった。頬を引っ叩かれ、椅子から転がり落ちた私を、周りのやつらはへらへらと見ていた。 「いい加減にしぃ!!!」 胸倉を掴まれ、反対の頬を打たれた。 「あんたねえ、相手の人が何したって言うよ!なんも悪くない人を殴って気持ちええか!?すっきりしたんか!痛いか?痛いじゃろう、相手の人はもっともっと痛かったんよ!!」 何度も打たれ、頬は腫れ、反抗する気力も失せていた。ただされるがままの私に、温かい何かが落ちた。振り上げた手は赤く腫れ上がっている。 「さっき連絡があってなぁ、相手の人…助かったそうじゃよ。肋骨も足も折れとったそうじゃけど、生きてるんよ。後遺症も残らんて。よかったなあ、生きとってくれた。よかったなあ」 腫れた頬にとつとつと沁みていく。なんで会いたかったのはあいつらじゃなく、母さんなんだろう。戻りたい、もう一度、母さんのハンバーグが食べたい。 さすが親子、わぁわぁ泣く様子はそっくりだったと、後で誰かが教えてくれた。
それからの一年、死に物狂いだった。病院を何度でも訪れた。許されない事が私の義務だと思った。髪を戻し、禁煙し、いじめにも耐えた。あれだけ荒れていたのが嘘のように、世界が綺麗に見えた。退院の日、相手の方がもう大丈夫だよ、と笑ってくれた。殴られなくても涙は出るのだと、初めて知った。
家までの帰り道、ぽつりと母は、 「ごめんね」 と言ったけれど、違うと思う。私が楽しさを忘れなければ、きっとこんな回り道をする事はなかったのだ。
届けられたファイルの束に、17番目はやはりなかった。当然だ。でも、間違っていたけれど、だからこそ私の糧になった。これでいいんだ。
―これだけ整理しきれてなかったから 後から送るわあ 母―
しばらくして速達で届けられたのは、あの、無いはずの17冊目のファイルだった。さすがに写真はないけれど、新聞記事やファンデーションの間に、煙草や血の付いた包帯なんかがぎっしりと挟んである。なあに母さん、こんなの見せられるわけないじゃない。 30冊目のファイルに写る、優しい夫と可愛い息子には。
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7月14日(火)23:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書き散らし | 管理
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